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← これが「第一回フーテナニー」だ!
1967年、「関東学生フォークミュージック研究会連盟」がスタート。連盟祭として、1969年から日比谷野外音楽堂で開催されたのが「フーテナニー」です。
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「これが歴史的瞬間(第一回獨協フリータイム)だ!」
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センターマイク、ギターを持っていない恰幅のよい青年が”山縣君”(初代キャプテン)。
その左のラテン系ガットギター・ボーカルが”砂岡(いさおか)君”、その左隣にはルーフトップ”フォークスマンシップ”の紅一点”木村さん”、さらにその左隣がマイスター初代コンマス”大海”。
その左隣の女性がDream a little dream of meの”和田さん”、一番右にいるギター・ボーカルがルーフトップ”フォークスマンシップ”のリーダー”石川君”でD28(’69)が最高の音を出していました。 (大海)
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トラッドスタイルの初代マイスタージンガーズ→
(フーテナニー:日比谷野外音楽堂)
☆当時頃からの伝統曲☆ DOWN BY THE RIVERSIDE
T’M GOING HOME THIS LITTLE LIGHT OF MINE
TODAY SING OUT etc.
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左から右 ハイ・メロ・ローのパートの順
左のベースがクラシック・ギターの名手”深沢君”現在はただの酒乱です(笑)
その右隣が”UP UP Singersリーダー:”大川君” 現在はユナイテッドエアラインのマネージャーだと思われる。で・・・ギター・ボーカル:大海、和田さん、木村さん、ガット・ボーカルに砂岡君その右隣は茅ヶ崎のロングヘアーお嬢 山峰さんです。 (大海) |
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←第一回フーテナニーを見守る先輩方
左から馬場さん 加藤さん 今津さん
軽音楽部フォークソングセクションからマイスタージンガーズが生まれたのは、クラブ発足後2年目あたりから。・・・ということは、当初はフォークソングセクションの一部がマイスタだったのだろう(選抜チームのようなもの?)。
マイスタージンガーズ発足以前のクラブは、「ウルトラマンシリーズ」にウルトラマンが登場するまでの「ウルトラQ」のような時代だったのでしょうか?(ウルトラQを知らない若い世代の方、ごめんなさい)。 |
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”獨協”ルーフトップ →
当時は、アメリカンフォークソングを中心とした多数のバンドによりクラブが構成されていました。
メジャーデビュー組も多数、輩出いたしました。
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実力者グループ:ルーフトップスタイルでミュージカルステーションのオーディションも通過した(笑)、フーテナニーで各校代表バンドコーナーで演奏中の、”Folksman ship フォークスマンシップ”です。(大海)
左から、田中米冶、木村和子、石川功、ベース:大海 |
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← 初代、第2代の夏合宿!
想い出の合宿は初代マイスタから行なわれていたのですね。フォークダンスなどもこの頃から行なわれていたのでしょうか?
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初代、二代の合宿・・・菅平で行いました。
この時に2回目の定演の思い出深いレパートリーとして、アニタ・カーのMy Wayやバカラックやロッド・マッケンの楽曲がバンバン上がって他校のシングアウトとは違う個性が出来た感じがします。
残念ながら、フォークダンスは無かったけど、湖放り投げ遊びや湖10周マラソンやゴタゴタや色々あって今思い出すと”めちゃくちゃ”だったな(笑)。(大海)
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これが伝説の「第一回定期コンサート at 久保講堂」 →
このコンサートの模様はニッポン放送のラジオ番組でオンエアされたそうです。
そして、中期マイスタまで引き継がれた「Down by the riverside」の教則テープは同コンサートで演奏されたものでした。 |
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← 第2回 フーテナニー at 日比谷野外音楽堂
なぜか、第2回目からはカラー写真になっていたりなんかします。 衣装も第1回目が「ブレザー」なのに対し第2回目からは多少ラフなスタイルになっていますね。
でも、人数は少なくなっていませんか?
選抜メンバーだったためか、構成員が減ったのか・・・気になりますね・・・。
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第1回フーテナニーのブレザーが厚くて不評だったので、シャツとパンツで行こう!となったけど・・・振り返るといい加減だったね。
これは、1,2年生合同でのステージ。
ベースが1年生の木下君ですが・・・ホントになんか少ないね〜(笑)
前年の定演から翌年のフーテナニーまでの間に何かが起こった?! (大海)
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第2回 定期コンサートのチケット裏面 →
第2回目の定期コンサートということは、一番最初の承継です。
その後、定期コンサートが36代まで続いていくなんて・・・。
これまた、歴史的チケットですね・・・。 |
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